2013年08月06日

長いブランク




8か月ぶりにやっと、季よみ通信の更新がかなった、、。

長かった、、というか当方の一方的な事情により
更新できなかったためであるから、
こちらは別の案件に忙殺され、
あまり、長さを実感できていなかったのである、、。


けれど、いざ
更新の準備に取り掛かろうとした途端、
その長きブランクを痛感した。

文を綾なすのはなかなか、苦労なのである、、

今後、季よみは1か月に1度程度の
更新になるだろうか、、、、




今季、胸の圧迫感
胸郭の詰まり感をかなり深刻に
異常として、訴える人が続出している、、

季節の動きとしても確かに、傾向的に
了解できるが、しかし、この重い圧迫感は
その重要なポイントとして
胸椎7番の硬張りの問題がある、、


胸椎7番の消えない違和感の問題は
この数年、否具体的にはこの2年
ずっと、まるでくさびを打たれたかのような
重要なポイントとしてある、、。

胸椎7番は免疫系の集注点であり、
心臓、代謝、排毒、胸郭の弾力など
心理的ポイントでもあり、
現代においては、きわめて重大な椎骨である、

環境の影響を受け、また察知する
このポイントにくさびを打ったのは
果たして何であろう、、、


7番の異常は、漠たる不安を将来に感じ
未来をビクつく傾向をもたらす、、、

今後、これをいろいろな方向から検討していきたい、、、。



posted by 身体気法会 at 01:27| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月24日

視線のその先にあるもの




 
長いインターバルであった、、、。

しかも、脱稿したのに
どうも不達成感に、まとわりつかれている、、。






ここ最近で、
面白い映画を2本見た。

映像表現で、いまだにこんなに刺激を受けるなんて、、、
そのこともちょっとした驚きだった。
 

1本はまさに「映像」である。

ストーリーの中に誘い込まれるのではなく、
最後には、私たちが「視るもの」として人々と街と、
そのざわめきやあらゆる事情を抱えながら生きている
人々のその息遣いを、感じ始めるのである。

「シルビアのいる街で」と云う1本である、、。

青年がかつて出会った女性の、その姿を忘れられず街の中に、
面影を求めて日ごとに探し回る話しである。
  

青年は、街に出て、ひたすら女性の顔を眺める。

忘れえぬ人の面影を求めて、行き交う人、たたずむ人、
街の雑踏に紛れそうな、女性のあらゆる表情を描きとめてゆくのだ。


やがて、物語が始まるのかなと、思う、、
視線を投げる青年と、視線の先にある様々な女性の顔だけが
長回しされる映像に、ストーリーはない、、
けれど、何処かで、それらしき女性を探し当てて、
にわかに物語が動き出すのだろうと、予測する、、


しかし、物語は進まない、、
そのまま、追いかけた女性は雑踏に消えてゆく、、

青年は再び、街のカフェや居酒屋や
市場やらに出かけてゆく。

出てくるのは、表情ばかり、、
けれどどの顔も、印象深く、ある種の美しさを感じる、、
女性の顔が多いのだが、
会話する相手の男性も、フォーカスされる、、。


終盤に近付くと、知らぬ間に
風景と顔、顔、顔、風景、というショットの移り変わりの中に
まさに、自分がそのくだんの女性を探し求めていることに
気付いてくる、、、。

そういえば、主人公の6種の美青年の姿が
いつの間にか、消えている。
風景と様々な表情しかないのである、、


まことに不思議な感触の映画である。
そして、映像表現としては、ほぼ方法が出尽くしたのかと
思い込んでいたが、このような
不思議な、視線そのものに注意を向ける
革新的な演出が可能であることに、
心底、驚いた。


監督は、女性の顔が特に好きな人だそうで、
このスペインの俊英監督は、こんなような作品ばかりらしい。


けれど、このように人を見て
風景を見つめるのは、そういえば
自分に似ているなと、あとでハタと気が付いた。

視ること、そのものが好きな人間と云うものは、
このような視線を持つものであり、
その視たままのものを、映像にしてみたいと
その衝動もなるほどと、納得できる、、


映像作品云うものは、視線と似ているが
同じものでは、ありえない。


例えば、漫画の世界がアニメでは
描ききれないことと同じである。

漫画のコマの中には、同時にいくつもの場と時間が
併存しているのだ、
これが併存したまま、時間軸に沿って
物語が進んでゆく、
このような特異な時制は、アニメでは描けない。

ひとりか二人の動きにフォーカスするだけで
物語の筋を追ってゆくだけになるのである。


ドラマも、基本的には同じ構造で、
複数の時間軸を、同時併存で一場面に
入れ込むことは、不可能に近い。

コマ割りして、複数場面を同時に回しても
一つひとつは、接写的で行為を映すだけなので、
いくつ、場面を併存させても、
時間そのものズレた同時存在を描けないのである。


俯瞰と云う視線は、基本的に不可能なのだ。




もう1本の作品というのは、
「21グラム」と云うメキシコの監督のものである。


この作品は、初めから時制が崩れている。
しょっぱなの場面は、あとあとで考えれば
最後に近い方の、場面であった、、、

過去と未来が入れ子になって、
まったく、無造作に散らばって、しかし、
混ぐらがりながら、徐々に
物語は進行してゆく、、。

どうも、似たような顔の男が出ているなと、、
シーンごとに、ヤサぐれていたり、パリッとしていたりで
分かりにくいけれど、これが
同一人物であると、しばらくすると
分かってくる。

過去と、進行形の現在と未来(結末)とが
入れ混じっていることも、
だんだんと了解できてくる、、。

このような、物語進行をされると
場面ごとが、どういう関係性を持っていて
ここに明かされた、結末付近の映像は
どう、結び付けれらてゆくのか
おのずと、心の視線が
時間軸を俯瞰してゆく、、。



視線と云うものは、
きわめて興味深い事象である、、

視線は空想と共時的な仮想実態感をもたらす。

この「かのような」共時性こそが
思いに、深く根付いてゆくのである、、、、。




今回の季よみは、
あとあと感じるに、どうも
一貫性を著しく欠いている、
視線は同じようで、ちょっとづつ
ズレているせいだろう、、

この不達成感の先にあるものは
なんであろうか、、、、









posted by 身体気法会 at 13:33| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

目の動きが阻害される季節



通信、其の22は遅れに遅れた、、。

事情もあるけれど、通底するものは
気が乗らない時期が、年に数回はあるものだと云うことだろうか、、

スランプとも言えるけれど、
頭の中では、構想が次から次と浮かんでは消え、
浮かんでは消えして、
内容そのものは、いくらでもあったのである、、。

けれど、それが書き進められない、
次に詰まるのだ、、。

書く作業と云うものは、
全体の構想と、各エピソードを、どのように織り繋いでゆくかである、
この織り繋ぐ、連絡がそのつど途絶えるのであるから
上手くいかない、、。

つまりは、リズムが生まれないということである、
ノリ、とか
グルーブとか、
そういった連続感が、ボソボソっなのである。


こういったときは、無理をしても仕方ない。
そう云うものである。




この2日、天候がすぐれず
雨まじりで、外気温も体感温度もグッと下がった。

この2日間、交通事故が非常に多かったのである、
車同士もあるが、道を歩いていた歩行者を
引っかけたりも多かったようである、

これは、視野が狭まっているのと
距離感が捉えにくいことから、
発生したと考えられる。


目の急激な狭窄があったのである。

この目の運動系や神経連絡を失調させたのは
生殖器が絡んだ泌尿器系であると考えられる。

急激な温度低下による冷えなのである。
それが、泌尿器系に影響を及ぼしている。

朝晩の冷え込みが厳しくなった
10月初旬辺りからの傾向であったのだが、
カスミ目や視力の衰え、などの
変化を多くの人が実感していた、


泌尿器系の冷えであるから、
急処は下肢のすねの何処かにあるであろうし、
血行のポイントである側腹や
脇のフチやらと云うところにも
見つけられるはずである。


生殖器の絡みを、下肢のいずれかに
発見できれば、これらはすっきりと
ライン化され、連絡されることと
なるのである。


posted by 身体気法会 at 00:11| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月06日

限定の夏



今夏は貴重な体験を得た、、。

「可動域の限定化」とは、
体癖のことでは?、、と
お気づきの諸氏もおられることと
思うけれど、
確かに「体癖」の言い換えであるとも
言える。


それでは、
限定化を避ける手立ては
ない!!ってこと?
と云うことになりそうだが、
体癖も、
狭窄化を防ぐため、
「体勢の波」を利用する
方法論を持ち合わせているようである。

複合的に動く体癖とともに
今後、明らかにしなければならない
諸問題の一つである。



秋である。
9月に入り、すっかり様相を
秋に移したようである。

三側の時期がやって来ているようである。


今日、ひょんなことから
「三側横跳び」なるものを
やってみた、、、、。






posted by 身体気法会 at 02:40| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

いっせいに始まる夏



夏は、口数が減る。

文も何だか、ぼそぼそと
途絶えながら、こそりっと
数行の言葉が呟かれるだけ。


それでもこの夏は
隠遁しないで、
世間とコミュニケーションの糸を
繋いでいる、、、


昨日から、蝉が鳴き始めた。

あちこちで、一斉に、、、。
隣町でも、
すっかり元気に鳴いていた。

どうやって、
いっせいに揃えたように
鳴き始められるのだろう、、、、?

コミュニケーションが
あるんでしょ、、、
と、言うのだが、
なぜ、みな号令をかけられて
遅れず、同時に鳴き始めるのか。。。


へそ曲がりな蝉はいないのか、
なんで、明日なの?
と、伝令にそっぽ向く蝉はいないのか、、、


それは、
実感として同意するからなのだろう、、

身体の勢いとして、
まったく異存がないからなのだろう、、、

〜明朝、午前8時の02分きっかりに
鳴き初め、、お願いしまーす!!
という伝達に、
おっ、まさにそうだね、、!
いいねっ!!と、
応じるのだろう。

身体のまさに気分がそうなのだ、
裡側から何か、突き上げてくるものが
一緒なのだ。


季節の変転に
素直に応答しているのだろう。


……
実は、その10日か1週間前に
練習日があったのだけれど、、、
その時には、
おいらは練習なんか不要だね!と、
歩調を合わせなかった
蝉もいた、、、、。



ぐんぐん伸びる外気温、、
夏が始まったのだ。


posted by 身体気法会 at 12:21| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

ノックスヴィルから糸と神さまへ




ウ・ト・ペラニにアップした記事は、当初
季よみ通信に書き進めていたもの。

心の底のさらに裏側に進みすぎて
にっちもさっちも、で
迷い込んでしまったため、
私の個人フィールドに移し替えた。


代わりに生まれたのが
7月の夏の心情、、、。

2題とも、込み入って迷路のような内容で
ムサイ!!っと、怒られそうである。

誰が、こんな時期に
好んで読むかいな、、、と、
引かれること、
今から予感される。

超低空アクセスとなりそうである。


バーバーのノックスヴィルは、
その出だしの、
漕ぎ出すような、ゆらゆら感が
美しい。


2010年の大晦日。
その年の半ばくらいから
じりじり周知され、支持されて
ロングヒットとなった
楽曲が、紅白歌合戦初出場の
若い女性歌手によって
せつせつと歌いあげられた、、。

これが、トイレの神さまである。

この出だし、繰りかえされる
主旋律は、
最初、聞いたとき
ある曲を思い起こさせた。


なぜ、巡りあうのかを〜
私た〜ちは、、、

遠い空を眺めやり
階段を上がりつ下がりつする
旋律の情緒に揺れる様の
美しい「糸」という歌だ。


中島みゆきが90年代に
発表した楽曲だ。


ノックスヴィルから
連なって、人の心の感興に
そのつど、湧き起こる
この出だしの旋律は
この三つの曲を織布のように結び付けている、、。

ノックスヴィルから糸と神さまへ、、

懐かしさと疲労感と充足感が
穏やかにゆらゆら漂うように
癒されてゆく、

音楽が心のしまである
その証しのような曲たちだ、、、。





posted by 身体気法会 at 15:55| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月28日

独り、立つ。



自主管理な身体、と云うのは
いわば、見果てぬ夢である。

世の中の人の3割がそうなれば、
大変な世界観の変革となる。

しかし、
やがて、米国発のゴーヨク資本主義が
TPPに乗じて、国民皆保険制度を突き崩そうと
図ってくるだろう、、、。


国民の6割の平均所得層が
医療サービスの多様化とか言って
ちょっした医療行為さえ、受けられない状況が
訪れる。

高額保険で身を刻むか
市販薬で、ごまかしながら切り抜けるか、
どうしてこんな事に!?とか、
つぶやくときは、すでに時、遅しで
日本国民はゴーヨク資本に
尻の玉を取られてしまっている。


野口整体の3本柱の一つ、
活元運動は、身体が覚えてしまえば、
もし孤島の生活を強いられたとしても、
何かあった時、の力強い指標となって
調整と安心を
もたらしてくれるといわれている。

頭を冷やして考えれば、
今でも十分に高すぎる医療費なのだ。
健康保険で、3割くらいしか支払っていないと
このあまりに高額な医療費を
実感できない。


身体的に自立した人々が
少しでも増えれば、
無駄に医療に任せきりの
今の構造が変わる契機となりうるだろう。


TPPの波が押し寄せても
見事な大波じゃないか!、、と
眺めやり、
すぐにまた、勢いよく退いてゆく
その様を、スケッチでもして
やり過ごせる余裕が
そこに生まれてる筈なのだが、、、、、。 



posted by 身体気法会 at 22:13| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

うーん、長い、、!!

長い記事が、終わった。  〜其の10

長すぎる記事である、、。



最近の人から人へ、と云う伝聞の事情は
口頭にしろ、文章にしろ
「起承転結」ではなく、「起承結!」なのだそうだ。

無駄に、論旨を転じて、悠長な展開をするより
一気に、結論になだれ込んでしまうのが
出来る!ひと、なのだそうだ。

それゆえ、
「結起承〜結」でも、喜ばれるらしい、、

誰に喜ばれるのか、、、、

いずれにしろ、
若い人たちの性向は、
まず、結果をすぐに知りたいらしいし、
余分な「間」や「遊び」を廃して
一気呵成に結論に至るのが
効率性においても、
先進ビジネスには、最適な伝達方法なのだと云う、、。


驚くべき、息の浅さ、、である。

結果が出れば、何でもありの
きんゆう資本主義そのものである。


私は、真反対の
道行き人、だ。

長なが、無駄な横道ばかり
通ってゆく、、、、

しかも、「転」が大好きなので
「起承転結」どころか「起承転転々、、、」に
なってしまう、、。

今回は、ホントに
着地点を見失ってしまった、、




posted by 身体気法会 at 17:38| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月29日

どうにもこうにも、どうにかこうにか、、。



二日遅れの更新である。

予想通り、歩調を乱し始めたのは
私からだ。

調子の波と云うものに、
私はごく、弱い。

体調と云うより、
調子の波、、である。


「右足アイドリング歩行」と云う
虫垂突起活点を活性化する
歩行法が、思うように完成せずに
焦ジれているせいもある、


近々、HPに発表の予定である、、、。




posted by 身体気法会 at 11:24| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

惰力で納める

隔週で搾り出される「季よみ通信」、アップが終わると
どっと、疲れて……、、、
とは、ならない。

徐々に上げていった回転数が、ブログ終盤には
最高位にフル回転しているのだから、
アップロードしたとはいえ
高まった圧力をプュシュウウと、蒸気を抜くような
簡単な構造ではないのである。

この回転力の惰力は、
さらなる創造へと、駆り立てる。

ブログをまっさらな状態から、
指田さんの直球を受けて
さて、何をものしようか、と
考えてゆくうち、命題を離れた
いくつものアイデアの小片、思考のひとかたまりが
生まれている。

そこで、これをものしようと
ウ・ト・ペラニなぞも
トライにかかるのである。


自走無しで、惰力で書ききる。
パッシブな状態で、自然に勢いが落ちるのを
待つのだ。

気力の波を掻き分けかき分け
惰力で納める。

不思議なさらしたような高揚感のみが残る。
posted by 身体気法会 at 02:19| Comment(0) | 心と身体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする